「伊万里鍋島焼」のおはなしと「青山窯のうつわ」のご紹介
鍋島藩窯とは
佐賀藩主 鍋島勝茂公は寛永5年(1628年)藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などを製作するため藩直属の御用窯を開き、最高の職人・材料を用い採算を度外視して至高の銘品を世に送り出しました。製品の質の確保と技術漏洩防止のため、岩山に囲まれた伊万里 大川内山に設けられた藩窯では入り口には関所が設けられ、仕える陶工たちは身分と生活が保証される代わりに厳しい管理下の元に置かれていました。この藩窯で作られていたものが「伊万里鍋島焼」と言われています。
一方、佐賀県有田町を拠点にして作られる焼き物を総称して「有田焼」と言います。日本磁器の起源とも言える有田焼は17世紀後半になるとその芸術性の高さが評価され東インド会社からの買い付けが始まりこれらの有田焼を伊万里の港から輸出していたことから海外では「IMARI」と呼ばれるようになりました。現代においては特に江戸時代に作られた有田焼(伊万里焼)は「古伊万里」と呼ばれ、それ以降のものは「有田焼」と呼ばれています。
鍋島様式とは
鍋島は主に「色鍋島」「鍋島染付」「鍋島青磁」の3つに大別されています。
色鍋島
藍色の呉須で輪郭を描いてからその内側を赤、黄(きび)、緑(もよぎ)で上絵付けします。多くの色を使っているようですが、実は3色の上絵しか使っていないのが色鍋島の特徴で、その美しさは日本磁器の最高峰と言われています。
鍋島染付
透明感のある素地に藍色の呉須だけで絵柄を施したもの。しっかりと輪郭を描いてから筆跡が分からないようにムラなく施された濃(だみ)、緻密な墨弾きなどの技法が充実しており、鍋島焼ならではの品格があります。
鍋島青磁
大川内山から産出する質の高い青磁原石を用いた青磁釉を器の全体ないし一部にかけたもので、染付・色絵を施すこともあります。中国の砧青磁を手本とした青みがかったものと、交壇官窯青磁を手本とした緑がかった貫入(ひびに見える仕上げ)のものとがあります。
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